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東京地方裁判所 昭和63年(行ウ)117号 判決 1991年3月26日

東京都杉並区永福二丁目三一番四号

原告

宮川一二

右訴訟代理人弁護士

宇田川和也

吉住仁男

東京都杉並区成田東四丁目一五番八号

被告

杉並税務署長 藤田忠志

右指定代理人

野崎守

東清

佐藤米昭

光本彰

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

一  被告が原告に対しいずれも昭和六二年四月三〇日付けでした、原告の昭和五九年分の所得税の更正のうち総所得金額一五一〇万〇七九一円、納付すべき税額一〇七万五四〇〇円を超える部分及び原告の同年分の所得税の過少申告加算税賦課決定を取り消す。

二  被告が原告に対しいずれも昭和六二年四月三〇日付けでした、原告の昭和六〇年分の所得税の更正のうち総所得金額三八三万七三八一円を超える部分及び原告の同年分の所得税の過少申告加算税賦課決定を取り消す。

三  被告が原告に対し昭和六三年一月二九日付けでした原告の昭和六〇年分の所得税の過少申告加算税の変更決定を取り消す。

第二事案の概要

一  本件課税処分の経緯等

1  本件課税処分の経緯は次のとおりであり、この点については、当事者間に争いがない。

(一) 原告は、昭和六〇年三月一二日、昭和五九年分の所得税につき、総所得金額を一三一六万八四〇五円(内訳 事業所得△(マイナスを示す。以下同じ。)五九万六六九六円、給与所得一三一二万〇六二六円、雑所得六三万八八一六円)、納付すべき税額を四九万一五〇〇円として、また、昭和六一年三月四日、昭和六〇年分の所得税につき、総所得金額を三三五万二八八一円(内訳 事業所得△一三四八万九六九一円、給与所得一六六九万〇〇八七円、雑所得一五万二四八五円)、納付すべき税額を△三六〇万九六九二円として、それぞれ確定申告をした。

その後、原告は、昭和六二年三月六日、昭和五九年分の所得税につき、総所得税金額を一五一〇万〇七九一円(内訳 事業所得△五九万六六九六円、給与所得一五〇五万八六二六円、雑所得六三万八八六一円)、納付すべき税額を一〇七万五四〇〇円、過少申告加算税を二万九〇〇〇円とする、昭和六〇年分の所得税につき、総所得金額を三八三万七三八一円(内訳 事業所得△一三四八万九六九一円、給与所得一七一七万四五八七円、雑所得一五万二四八五円)、納付すべき税額を△三五九万五五九二円とする、各修正申告をした。

(二) これに対し、被告は、昭和六二年四月三〇日、原告の右昭和五九年分及び昭和六〇年分の所得税につき、事業所得及び雑所得の額及びその内訳が別表(一)の更正額欄記載のとおりであるとして、原告の昭和五九年分の総所得税額を一六二一万〇八四四円(内訳 事業所得〇円、給与所得一五〇五万八六二六円、雑所得一一五万二二一八円)、納付すべき税額を一五八万一五〇〇円、昭和六〇年分の総所得税額を一七一七万四五八七円(事業所得〇円、給与所得一七一七万四五八七円、雑所得〇円)、納付すべき税額を一一二万六五〇〇円とする各更正を行い、併せて、昭和五九年分の所得税について二万五〇〇〇円の、昭和六〇年分の所得税について二三万六〇〇〇円の、各過少申告加算税の賦課決定をした。

(三) その後、被告は、昭和六三年一月二九日、右原告の昭和六〇年分の所得税の過少申告加算税の額を四四万七五〇〇円と変更する決定をした。

2  なお、この金銭の貸付による所得が事業所得に当たるものかそれとも雑所得に当たるものかはともかくとして、原告が右の昭和五九年度及び昭和六〇年度において、別表(二)記載のとおりの金銭の貸付を行い、これによつて同表の受取利息額欄記載のとおりの利息収入(以下「本件利息収入」という。)を得ていたこと、また、原告が右の両年度において、右の原告の各修正申告額どおりの給与所得を得ていたことについては、いずれも当事者間に争いがない

二  本件の争点

1  本件の争点は、専ら、右両年度の原告の金銭貸付による本件利息収入が所得税法上の事業所得と雑所得のいずれに該当するか、換言すれば、原告の右金銭貸付行為が所得税法二七条一項の事業に該当するか否かの点にある。

すなわち、本件利息収入が事業所得に当たるものであれば、その所得税額の計算に当たつては、前年分の所得金額の計算上必要経費に算入された貸倒引当金の繰り戻し額が当年分の総収入金額に算入されることとなる(所得税法五二条二項)一方、当年分の貸倒引当金は必要経費に算入されることとなり(同条一項)、また、当年分の貸倒損失額はそのまま必要経費に算入されることとなる(同法五一条一項)。ところが、本件利息収入が雑所得に当たるとされる場合は、右の貸倒引当金は所得の計算上考慮されないこととなり、また、貸倒損失額も、当年分の雑所得金額の限度でしか必要経費に算入されないこととなる(同法五一条四項)。本件では、原告は、右両年分の所得税の修正申告において、別表(一)記載のとおり、いずれも貸倒引当金の繰り戻し額を各年分の総収入金額に算入するとともに、各年分の貸倒引当金額を必要経費に算入しており、また、昭和五九年度においては一〇〇万五四四七円の、昭和六〇年度においては一五七八万五八五三円の各貸倒損失額があつた(この貸倒損失の発生事実及びその金額については、当事者間争いがない。)ので、本件利息収入を事業所得と解するか雑所得と解するかによつて、その所得金額の計算に差異が生じてくることとなるわけである。

2  この点について、被告は、金銭の貸付行為が所得税法上の事業に該当するかどうかは、その営利性、継続性及び独立性の有無によつて決定されるべきところ、原告の昭和五五年分から昭和六〇年分までの金銭の貸付状況は別表(二)記載のとおり(この事実については、当事者間に争いがない。)であり、右の金銭貸付は、営利の目的をもつて不特定多数の者に対してなされる金融業としての社会的実態を有していないというべきであるから、右各貸付に係る本件利息収入は、事業所得ではなく雑所得に該当すると主張している。

3  これに対し、原告は、同人は金銭貸付を事業として行つている者であつて、昭和五三年九月には、東京都知事に対して貸金業の届出もしているから、本件利息収入は事業所得に区分されるべきものであると主張している。

4  また、原告は、被告が長年にわたつて原告の自己の金銭貸付による所得を事業所得とする申告を受理し、これを是認しておきながら、本件申告年分について突然右金銭貸付の事業性を否定することは、禁反言の原則により許されず、この点からしても、本件各更正処分は違法であると主張している。

第三争点に対する判断

一  金銭の貸付行為が所得税法上の事業に該当するか否かは、被告も主張するとおり、社会通念に照らして、その営利性、継続性及び独立性の有無によつて判断すべきものと解するのが相当であり、具体的には、利息の収受の有無及びその多寡、貸付の口数、貸付の相手方との関係、貸付の頻度、金額の大小、担保権設定の有無、人的及び物的設備の有無、規模、貸付宣伝広告の状況等諸般の事情を総合的に勘案して、右の点を判断すべきものと考えられる。

前記のとおりその内容については争いがない別表(二)記載の昭和五五年から昭和六〇年までの原告の金銭の貸付に関して、右のような判断要素として考慮されるべき事情としては、乙五号証、同六号証の一及び原告本人尋問の結果並びに各項目末尾記載の証拠によれば、次のような事実が認められる。

1  原告は、昭和四七、八年ころから個人として金銭の貸付を行つており(もつとも、乙五号証の聴取書では、原告は、当時の被告の係官に対し、金銭の貸付を始めたのは昭和五三年九月からであると供述している。)、昭和五三年九月には、東京都知事に対して貸金業の届出をして貸金業者として登録され、同じころ、杉並税務署に対しても、貸金業の開業届出及び所得税の青色申告承認申請をしている(甲一号証ないし同五号証)。

2  原告の昭和五五年以降の金銭貸付は、別表(二)記載のとおり、金額的にはその大半が宮川企業株式会社(以下「宮川企業」という。)、株式会社宮川(以下「宮川」という。)及び沖縄宮川株式会社(以下、同社を「沖縄宮川」といい、右の三社を併せて「宮川三社」という。)に対するものであるが、宮川企業及び宮川は原告が自ら代表取締役を務める会社であり、また、沖縄宮川は原告が取締役(昭和五二年六月までは代表取締役)を務めている会社であつて、原告はこれらの会社の株式の過半数を保有している。

3  これら宮川三社に対する貸付は、いずれも各社の運転資金又は事業資金の必要に迫られて行われたものであるが、これらの貸付にあつては、原告は、昭和五九年以後宮川企業から利息を受け取るようになつたほかは、いずれも利息を収受しておらず、また、貸付先から担保の設定も受けていないほか、宮川企業及び宮川については、昭和五八年までは契約書さえ作成していなかつた(甲四二号証、同四三号証の一及び二、同五三号証ないし五八号証の各一及び二、乙六号証の四)。

4  宮川三社以外の貸付先は、右六年間で全部で四名にすぎず、これらはいずれも原告の友人知人であり、その貸付額は多いものでも一〇〇万円前後であり、その貸付金は、いずれも当初の約定の返済期限までに返済されず、担保も不十分であつたため、最終的にはその貸付先四名中三名までについて相当額の未払債権を貸倒れとして処理せざるを得なくなつている(甲一八の一ないし三、同一九号証ないし二二号証、同二三号証の一及び二、同二四号証ないし三三号証、同四五号証、乙六号証の二及び三)。

なお、別表(二)記載の右貸付のうち寺島芳一郎に対する分は、もともと損害賠償債権であつて、金銭消費貸借契約に基づく貸付金でないことは、原告自身がその本人尋問で認めているところである。

5  昭和五九年ないし昭和六〇年当時、原告は、前記の貸金業を行う場所として宮川企業の事業所を届け出、同所に貸金業者登録証を掲示していたが、専従の従業員はなく、貸金業の広告宣伝活動もしておらず、また、右事務所の使用料を宮川企業に支払つたこともなかつた(甲一三号証ないし一五号証、乙三号証の一及び二)。

二  右のとおり、原告の貸付の大半が自らがいわばその経営者の立場にある宮川三社に対する運転資金又は事業資金の融資であり、その他の貸付は友人又は知人の四名に対するものだけであること、これらの貸付の多くについて、利息を定期的に収受しておらず、事前に債権の回収確保のための十分な措置を講ずることもせず、その結果、宮川三社以外の貸付先四名のうち三名については貸付金の相当額を最終的に貸倒れとして処理せざるを得ないという状態になつていること、更にまた、その事務所についてもそれが貸金業のための事業所として利用されていたとまでいえるような外形的事実が存在していなかつたことなどからすれば、前記のとおり原告が正規の貸金業の登録を行つていたこと等を考慮に入れても、なお原告が右金銭の貸付行為を事業として行つていたものと評価することは困難なものというべきである。

これに対し、原告は、原告の貸金業が未だ創業期にあることからすれば、貸付先が限定され、貸付条件も原告に有利なものにできず、十分な利潤が上げられないのは当然であつて、むしろ行為者たる原告の主観を重視すれば、原告の右金銭の貸付は事業として行われたものとすべきであると主張する。しかし、原告は昭和五三年に貸金業者として登録を受けているのであるから、その時から貸金業を開業したものとしても、昭和五九年及び昭和六〇年当時が未だ事業の創業期にあるものとはいえないのみならず、大口の貸付先である宮川三社が自らが株式の過半数を保有する会社であることからすれば、原告の営利を目的とする事業として金銭の貸付を行う際に、特に他の金融業者より不利な条件で貸し付けなければならない理由はないものというべきであり、その他前記認定のような各事実に照らしても、原告の右主張は採用できない。

三  また、原告は昭和五三年分以降の自己の金銭貸付に係る所得を毎年事業所得として申告してきたのに対し、被告は一度もこれを更正したことはなかつたから、本件各年度分について突然これを事業所得に当たらないものとして、本件更正処分を行うことは禁反言の原則に照らして許されないと主張する。しかし、そもそも客観的な所得の存在とその金額に対応して行われるべき性質を有する本件の場合のような課税処分について、本来対等当事者間の私法上の取引を規制する原理である禁反言の原則を適用すること自体に疑問があるのみならず、金銭貸付による所得を事業所得としてきた原告の申告に対して被告が更正を行つたことがなかつたとしても、そのことだけでは、被告が、原告に対し、同人の金銭貸付が事業として行われているものであることを認める旨を表示したこととなるものともいえないから、右の原告の主張も採用できない。

四  そうすると、原告の本件利息収入は、事業所得ではなく雑所得に当たるものとせざるを得ないから、別表(一)記載のとおり、昭和五九年分及び昭和六〇年分については、原告の事業所得は存在せず、同表の更正額の欄のうち雑所得の金額欄記載の金額の雑所得が存在したこととなる(なお、同表記載の旅費交通費等の経費の存在とその金額並びに生命保険契約に基づく年金収入及び年金に係る必要経費の各存在とその各金額については、いずれも当事者間に争いがない。)。したがつて、右のとおりの事業所得と雑所得の内容を前提としてなされた本件各更正、各過少申告加算税賦課決定及び過少申告加算税変更決定はいずれも適法なものであり、その取消しを求める原告の本訴請求は理由がないこととなる。

(裁判長裁判官 涌井紀夫 裁判官 市村陽典 裁判官 小林昭彦)

別表(一)

昭和59年分及び昭和60年分の事業所得及び雑所得の計算の内訳

<省略>

別表(二)

昭和55年分から昭和60年分までの間の原告の金銭の貸付状況

<省略>

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